プロフィール

1951年
4月1日東京生まれ。A型  4歳で名古屋へ 中学の頃より歌を作り始める。
1973年
ポリドールレコードより自作の「忘れな草」でデビュー。
1974年
自作の「コーラが少し」が高木麻早の歌でヒット。
以後レコード、カセットアルバム、CDなど多数リリース。
ラジオのパーソナリティとしても73年よりFM愛知、岐阜ラジオ、CBC等でさまざまな番組を担当。
1987年
ライヴハウス「パラダイス・カフェ」のマネージャーとして、ジャンルを超えて多くのバンド、シンガー、演奏家をプロデュース。
1996年
「パラダイス・カフェ」を辞め、「山名敏晴ヴォーカルスクール」 「Yamanaミュージックオフィス」を興す。
現在
シンガーソングライターとしてライヴ、コンサート活動のほか、 「yamanaボーカルスクール」でヴォーカル講師、 「Yamanaミュージックオフィス」としてCD,コンサートプロデュース等でも活躍。 CMソング、テレビ、ラジオ主題歌、挿入歌、社歌など作品多数。

モノゴコロついて
最初に覚えている歌は春日八郎の「お富さん」、平尾昌章の「ミヨちゃん」。
小学校では
「オールディーズ」の洗礼をうける。家にあったグレン・ミラー、ベニー・グッドマン、ナット・キングコールやクラシック全集のアルバムもよく聴いていた。
中学校で
ビートルズ、ベンチャーズ、加山雄三に心酔、ギターを練習、歌作りを始める。作詞・作曲の師匠は加山雄三と荒木一郎だと思っている。勿論ビートルズも初期の歌はリアルタイムで憶えた。
愛知県立昭和高校1年
文化祭で初舞台。ベンチャーズのカバーバンドに誘われ・・・虜になる。
高校2年で
「フォークソング」を知る。P.P.Mから日本のフォークへ・・・、メッセージソングに興味を持ち、作り始める。
高校3年で
名古屋労音「フォーク研究会」に参加。名古屋「五色園フォークキャンプ」や四日市フォークキャンプに参加。第一回中津川フォークジャンボリーにも労音つながりで参加・出演。以後70年の3回目まで参加。
1969年、18歳
江口晶氏率いる「フォークイン」と労音脱退者による「名古屋フォーク研究会」設立。名古屋覚王山に事務所を借りて「我楽多フォークコンサート」の準備を始める。
1970年
1月名古屋市公会堂にて「我楽多フォークコンサート」を開催。20余組のアマチュアシンガーの出演を得て公会堂2千数百席を満席にする。ゲストは当時東海ラジオ「ミッドナイト東海」のパーソナリティとして人気の高かった森本レオ氏と「受験生ブルース」の作者中川五郎氏。
コンサートの利益で東区に「うたのやど」設立。「五つの赤い風船」のコンサートや様々なライヴ、機関紙の発行などを中心に、毎夜いろんなメンバーが集まる。
URCレコードより「全国フォーク地図・名古屋版」に「はなむけの歌」収録
1971年
20歳の時、吉田拓郎氏司会の「バイタリス・フォークヴィレッジ」中部地区予選決勝大会へ。後のデビュー曲となった「忘れな草」を歌う。他の9組は全てバンド、唯一のソロの弾き語りだった。同期の出演者には「八事裏山フォークオーケストラ」や「北川とみ」などがいる。
名古屋でマイナーレーベルを立ち上げたいと紹介された「名古屋ディスク」の本多忠三氏の下でレコード作りのアルバイトの傍ら半年間レコーディング。録音とレコード製作のイロハを学ぶ。
1973年
22歳で名古屋初のインディーズレーベルからデビュー。メジャーの目にとまりポリドールレコードから「忘れな草」を全国発売。アルバム「ソングブルース・ワンピース」も同時発売。以後「旅の終り」「冬の朝」とシングルをリリース。 「旅の終り」は数年後、全国のユースホステルで歌われるようになり、各社競作で再発。ユースホステル愛唱歌ベストワンとなる。
デビュー当時紹介された「荒井貿易」の榊原喜三氏に頼み込み「FM愛知」で名古屋初のフォーク番組 「アリア・フォークイン」のパーソナリティを務める。アリアさんもフォークギターを作り始めたばかりだった。まだ売れる前のアリスやかぐや姫もゲストで出てました。
以後、「FM愛知」「岐阜放送」などで2時間ワイド番組のパーソナリティを15年続ける。
1974年
自作の「コーラが少し」をアマチュア時代からの知り合いだった高木麻草が3枚目のシングルとしてリリース。公称10万枚のヒット。麻草ちゃんのデビューコンサートは山名とのジョイントコンサート。この1曲で1年食えた。感謝!
1975年
名古屋「雲竜ホール(現ダイヤモンドホール)」で初リサイタル。 以後、オリジナルを歌うかたわら、フォークソングは勿論の事 ポップス、スタンダード、シャンソン、オールディーズから流行歌まであらゆる ジャンルのカヴァー曲を歌う。
1984年
今池ユッカで歌い始める。20代にはよくライヴをやった店もシャンソンをやる店に変わっていたけど、ここで地元のシャンソンシンガーを知る事になる。
1987年
名古屋今池にライヴハウス「PARADISE CAFE」をオープン。 オーナーの小林伸三氏とオープンまで準備室を借りて激論の毎日。オープニングは故西岡恭蔵氏。
「PARADISE CAFE」の命名は氏の歌から。音楽的に徹底したノンジャンルを目指した。クラシック、邦楽、シャンソン、フォーク、ポップス、オールディズ、カントリーetc。フォーク関係も沢山来てくれました。96年に辞めるまでに前述の西岡氏をはじめ加川 良氏、斉藤哲夫氏、故高田 渡氏、中川イサト氏ほか数え切れないミュージシャンが出演してくれました。
その間に8曲入りカセットアルバム「vol.1 My Love」「vol.2 The Mind」発売。
1994年
20年振りのワンマン「山名敏晴コンサート」を名古屋市芸術創造センターで開催。
1995年
シングルCD「愛しくて」リリース。
1996年
パラカフェを辞め「山名敏晴ヴォーカルスクール」を設立。
「コンサート見果てぬ夢」を名古屋市芸術創造センターで開催
2000年
ベストアルバム「Bittersweet vol.1」13曲入りリリース。
CD発売記念コンサートを「東海豪雨被災者支援コンサート」として名古屋市芸術創造センターで開催。売上から義援金を寄付。

芸創コンサート

2003年
「山名敏晴30周年記念コンサート」を名古屋市芸術創造センターで開催。
30周年記念シングルCD「想い~あの時代を~」リリース。
2004年
「yamanaボーカルスクール」と改称。
現在
自身のライヴは各季、ボーカルスクール生徒のライヴを入れると、ほぼ月1のペースでライヴ活動を展開

・・・音楽や歌ってのはみんな同じだと思う。

歌にはメッセージが必ず 込められているし、古い歌も新しい歌も、
自分の為に書く歌も人の為に創る歌も、商業音楽もストリートシンガーの歌も、
魂を震わせる音楽はみんないいものだ。

それぞれの人達にそれぞれの歌があり、みんな自分の歌をうたう。
良い歌を良いって素直に言えるように、いつも自分を自由にしていたいね。