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2012.11.3 「旅の終り」 が朝日新聞の「うたの旅人」で紹介されました

旅の終り

1974年にリリースし、後に全国のユースホステル愛唱歌となっている「旅の終り」が、2012.11.3(土)の朝日新聞朝刊別刷  be  のコラム「うたの旅人」で紹介され、取材を受けました。

(旅の終りの誕生秘話 & 「旅の終り」youtube動画)


朝日新聞うたの旅人




「旅の終り」     (北海道・礼文島 桃岩荘ユースホステルバージョン)

夢のような旅だった  遠い北の国の
僕は旅の喜びと  旅のつらさを知った
北の国の少女たちと  過ごした夢のせつな
今日は君も他の街へ  僕も他の街へ

 こんなつらい旅なんか  もういやだ
旅を終わろう  汽車に乗ろう 

共に山に登ったね  君と手を取り合って
共に海を見ていたね  水は青く澄んで
君の心青く澄んで  僕の心が取り戻す
海の青さ

人と人との出会いなんて  いつも別れで終わる
僕は君のくれた夢を  明日も持ち続けよう

※~※2回繰り返し



( 記事全文↓)
 
現在は電機メーカーで太陽光発電システムなどを研究する舟橋俊久さんが大学生だった1970年、北海道旅行中に作詞作曲した。73年には、友人でもあったシンガー・ソングライター山名敏晴さんがレコード化した。

全国のユースホステルで歌われるようになり、77年には日本ユースホステル協会が監修した LP「いっしょに歌って」第3集に収録、複数の歌手がシングルを発売した。歌手によってテンポや歌詞の一部が異なる。掲載した歌詞は北海道・礼文島の桃岩荘ユースホステルで40年間、唄われているバージョン。

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時を超え響く歌声の奇跡      舟橋俊久  「旅の終り」

フェリーが港に着き、旗を振る宿のスタッフの盛大な出迎えを受けた時から、非日常の体験が始まる。「知性と教養と羞恥心は、ここに置いてきて下さいね」。宿へ向かうトンネルを抜けると、タイムスリップしたような世界が待っていた。

北海道最北の島、礼文島。南西側の海岸の断崖に、へばりつくように建つ「桃岩荘ユースホステル(YH)」は、開館45年を迎えた今も、ある種の「旅人」たちを引きつけてやまない。
桃岩荘YH
かつてニシン漁が盛んだった時代に、やん衆(漁師)が寝泊まりした築100年を越えるニシン番屋の建物が、そのまま宿泊施設になっている。

今どき、全室相部屋(男女別室)。消灯・起床時間厳守。トイレはくみ取り。禁酒・禁煙。食事後の食器洗いや布団の上げ下げはセルフサービス。住み込みスタッフ(ヘルパー)と宿泊者(ホステラー)はニックネームで呼び合い、初めて訪れても「お帰りなさい!」と鐘や太鼓を打ち鳴らし熱狂的に迎えられます。1970年代、若者たちの貧乏旅行に支持されていたYHを知る人には懐かしいスタイルが、今なお色濃く残っている。

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ここは、40年以上前から、毎年「今年の歌」を決め、歌い継いできた「歌の宿」でもある。
今シーズンの営業終了を翌日に控えた9月29日、恒例の「唄いまくり」が開かれた。毎年この時期にある閉所イベントのひとつ。通常は、毎晩のミーティングで数曲歌われるだけだが、この夜は、旅や島をテーマに作られたオリジナル曲や懐かしのフォークソングを、文字通り歌いまくるという趣向だ。

大きな紙や布に書かれた歌詞に取り囲まれた、いろりのある板敷きの大広間。10代~70代の約70人が各地から集合していた。桃岩荘に魅せられた筋金入りのホステラーばかりだ。ヘルパーがギターを弾く。これに合わせて手拍子、大合唱。恥ずかしがっていては楽しめない。2部構成で3時間余り、流れる汗をぬぐいながら、27曲を歌い続けるエネルギーに圧倒された。

「40年前の歌ですが、旅の出会いと別れは、今も変わらないと思います。」こう紹介された「旅の終り」は1972年の「今年の歌」だった。

当時、ヘルパーとして桃岩荘で過ごした「ペコ」こと小林雅代さん(62)にとって、「宝物」のような曲だ。70年に初めて桃岩荘を訪れ、島を歩き巡った記憶が、2番の歌詞に重なる。多くの旅人と出会い、ともに歌い、そして別れた。そのころに歌詞を書き留めたノートが今も残っている。

小林さんは、結婚や子育てで旅から遠ざかっていたが、4年前からは毎年、短期間だがヘルパーに復帰。「旅に戻ってきた昔の仲間もいます。幾つになっても、みな旅人なんですね。」

この曲は、旅を続けるホステラーらが、桃岩荘から各地へ歌い伝え、70年代後半にはYHの愛唱歌として知られるようになる。記者も78年、初めて泊まった奥尻島のYHでこの曲を知った。「こんなつらい旅なんてもういやだ 旅を終わろう」というフレーズがずっと記憶に残っていた。当初、作者不詳として伝えられた「旅の終り」の始まりはどこにあったのだろう。


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北の島から全国へ歌い伝えられた 「旅の終り」
 ~忘れるな島で唄ったあの歌を~

いくつもの旅の連鎖が歌を運んだ。1970年夏、「旅の終り」を作詞・作曲した舟橋俊久さん(61)は、初めての北海道を旅していた。

当時、名古屋大学工学部の1年生。旧国鉄の周遊券を使い、列車で、函館から札幌、道北へ。そして利尻島に渡った。
利尻富士
そこで道内の女子高生3人組と知り合う。一緒に利尻富士に登り、帰りのフェリーでは船酔いした一人を介抱した。結局、名前も聞かなかった。彼女たちは南へ、舟橋さんは道東へ向かった。

周遊券の有効期間は20日間。「旅の終り」は、その期限が迫る道東から札幌への列車の中で生まれた。
  北の国の少女たちと 過ごした夢のせつな ―
「旅を終える寂しさと、所持金が少なくなってきた心細い気持ち」から、ふと歌詞とメロディーが浮かんだ。それを駅弁の包み紙の裏に書き留めた。

舟橋さんがこの曲を人前で披露したのは、名古屋へ帰ってからだ。当時、アマチュアで音楽活動をしていて、地元ラジオ局の番組やライブで歌った。「レコードにしたら」と薦めてくれる人もいた。しかし、その機会には恵まれなかった。

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71年夏、今度は舟橋さんの音楽仲間だった名古屋在住のシンガー・ソングライター、山名敏晴さん(61)が旅に出る。一緒に旅するはずの女性は待ち合わせの駅に現れなかった。独りギターを抱えて列車に揺られ、北海道をめざした。

不運が続く。途中で財布を落とし、函館に着いた時の所持金はポケットの小銭だけに。連絡先を知っていた苫小牧市のフォークサークルの事務所へ、ヒッチハイクで何とか転がり込んだ。しかし、金が無く、どこにも行けない。そればかりか、風邪をひき、寝込んだ。仕方なく大切なギターを売り、名古屋へ戻った。

つらい旅だった。でも、山名さんは大きなものを北海道に残したかもしれない。苫小牧市で知り合った男性に、舟橋さんの「旅の終り」を教えたという。

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72年春、礼文島・桃岩荘ユースホステル(YH)のペアレント、柳谷秀一さん(63)の妹、留美子さん(58)が旅に出る。当時まだ高校生。苫小牧市から南西へ25キロほどにある白老町にあったYHに宿泊した。そこで同室になった女性から、歌を教えてもらった。タイトルは「旅の終り」。誰の曲かは分からない。しかし、旅から戻った妹が歌うこの曲が、柳谷さんの心に染みた。この年の桃岩荘の「今年の歌」となり、ミーティングで毎晩歌われるようになった。

翌73年、山名さんがデビューアルバムに「旅の終り」を収録し、74年にシングル盤を出した。その歌詞とメロディーは、桃岩荘で歌われているものとは少し違っている。経路は分からないが、楽譜やレコードを通じてではなく、人から人へと歌い継がれた曲が、遠く礼文島までもたらされたことは間違いない。

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70年代前半は、「知床旅情」のヒットによる「さいはて」人気もあり、世は旅行ブーム。しかし、多くの若者には旅館・ホテルの宿泊料は高すぎた。このため、500円前後(当時)で泊まれる会員制のYHは、72年には会員数が63万人を超え、全盛期を迎えていた。

桃岩荘で「旅の終り」に出会った旅人たちもまた、各地のYHへこの曲を歌い伝えた。そして「旅の終り」は70年代後半、日本ユースホステル協会のアンケートで、好きな歌の1位に。77年には複数の歌手が競作でレコードを出し、テレビや雑誌でも取り上げられた。

決して明るい歌ではない。だが「旅の本当の姿が歌われているからこそ愛されたのだろう」と柳谷さんは思う。

現在、日本のYHの会員数は全盛期の10分の1にも及ばず5万人を割っている。YHの規則の多さや相部屋が疎ましく、歌うミーティングも「押しつけ」と感じる、そんな人たちが時代を追うごとに増えたことが原因のひとつらしい。

今では、毎晩歌う昔ながらのYHは全国で桃岩荘だけだ。そのためか、かつてのような熱い連帯を求めるホステラーは、20年、30年と桃岩荘に通う。近年は、子育てや親の介護を終えて、戻ってきたホステラーも増えているという。

今年、夏休みを利用してヘルパーをした藤田彩貴さん(16)と水谷みなみさん(15)は高校1年生。「年齢も性別も関係なく、いろんな人と知り合えるのが楽しい。」母に連れられて幼い時から桃岩荘に泊まり、「旅の終り」も知っている。「ここで覚えた歌はみんな好き。」 新しい世代にも魅力は引き継がれている。


舟橋さんは学生時代に、桃岩荘で自分の歌が歌われていると聞き、一度だけ訪れた事がある。場違いな感じがして作者だとは言いだせなかった。今年も歌われていた事を伝えると。「不思議な『歌の運命』を感じます」と語った。

「また来いよ!」 「一緒に唄った歌を忘れるなよ!」
朝、桃岩荘のヘルパーたちは、旅立っていくホステラーの姿が見えなくなるまで、そう叫びながら見送っていた。前夜、みんなが歌った2007年の「今年の歌」のフレーズがよみがえってきた。

遠く離れても鳴り響く  あの日の歌を  歌い続けるよ  また逢えるように


( 2012.11.3(土) 朝日新聞別刷  be  「うたの旅人」 より全文転載 )